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東日本大震災

震災(6)

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石巻に着いたのはもう日が暮れた頃だった。ホテルにチェックインしつつ、素泊まりなのでどこか食事できる店がありそうなのはどのへんでしょう、と尋ねると、フロントの人は、駅前に少し居酒屋なんかがあるくらいで…と答えた。
地方のビジネスホテルによくある、モノクロコピー1枚ペラの手作り近隣食事処マップがこのホテルの部屋にもあった。見てみると、フロントの人の言ったほうとは逆に、どうやらお店がありそうな繁華街っぽく思えるところがある。なんでこっちを教えてくれなかったんだ、と思ったが、実際徒歩で行ってみてわかった。ほとんどの店は建物が津波でやられていて営業できる状態ではないままなのであった。18時前だったが、人の気配もほとんどなかった。一応そんな中でも街歩きしてみようとうろうろしてみたが、かろうじて営業しているのは風俗店らしきハデな店くらいで、あとは本当にどこもやっていない。諦めようかと思ったところで、明かりのついている小さな喫茶店を見つけた。両隣の建物も破壊されたままだが、営業中の札を信じてドアを開けた。

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震災(5)

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気仙沼の南町海岸のあたり。つねにこのような状態なのかはわからないが、ぼくの訪れたときは街のところどころが冠水した状態だった。当初はこの日、このあたりに宿をとろうと思っていたが、スケジュールを考え更に南下することにしていたのであまり長い時間をかけて見て回ることはできなかったものの、被害のありかたもまた様々だと感じる。港の公園のようなところが近くにあったが、見ると水位はその岸とほぼ同じ高さになっていた。
ちなみにこのあたりはストリートビューでも見ることができる。この記事の投稿日の時点では津波の前の状況なので、変貌前の様子を見てその怖さをあらたにした。

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震災(4)

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大槌町からは釜石、大船渡、陸前高田と南下する。それぞれに被害の跡は残り、特に陸前高田に至っては跡というより逆に「何も無い」状態であった。JRの駅の跡を探そうにも、もはやその場所すらわからなかった。
そうして気仙沼に至る途中に、鹿折地区というところがあり、ここもまた被害が甚大である。大船渡線の鹿折唐桑駅の前には、大型漁船が打ち上げられていた。モニュメントにするという話もあるそうで、実際地元の女子高生たちも自転車で来て写真を撮ったりしていた。なんかこの行脚を続けていてずっとひとりで神妙な顔ばかりしていたんだけど、その様子を見てなんかほっとさせられた。

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震災(3)

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宮古から車で太平洋沿岸をひたすら南下すし、山田町、吉里吉里を見て、お昼前くらいに大槌町に着いた。ここもまた、とにかく一切が無くなったという様子だ。きっとガレキや壊れた建物がもっとすごかったのだろうが、8ヶ月でまだこのような状態というのは東京で普通に生活している自分としては完全に想像力の及ばないところだった。家があったであろう土台の跡に、たまに花が手向けられているのを見つけては心がチクリとした。
レンタカーなので自分の好きな音楽ではなく、地域のラジオを聴きながら車を運転していたのだが、そのニュースでちょうど大槌に「復興食堂」というのが昨日オープンした、という話題をしていたので寄ることにした。テント張りの店で、注文をとるお姉さんも不慣れな感じであった。もしかしてボランティアじゃなくてここの人なのかな、と思ったがお姉さんには訊けなかった。海鮮の丼はわずか500円で、店が周りにそもそも無いようなこの場所でこんなお得な値段でいいのかと思うくらいだったし、お客さんもなんか楽しそうだった。ここに寄れて、わずかでもお金が使えてよかったと思った。

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震災(2)

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本当は八戸あたりから見ていきたいとは思っていたが、限られた日程の都合もあり最初に宮古を訪れた。盛岡から山田線に乗り約2時間、宮古駅周辺は特に被災したような様子は見られなかった。『復興支援地図』には浸水した地域が色でわかるようになっていて、この駅周辺もその赤い色がついていた。もしかして結構もう復活してるのかな、と思ったが、この考えは本当に甘かった。
あくまで比較的被害の小さなところはもう浸水があったように見えないだけで、少し海に近いところに足をのばすと、急に、解体待ちの家や、土台だけの空き地があらわれるのだった。本当に、何丁目はダメ何丁目は問題なし、とクッキリ線が引けそうなくらいの違いがあった(とはいえ無傷そうな建物も大半は床上浸水などしてダメージを受けているようだ)。
夜に入った寿司屋で少し話を聞くと、その店は海から結構離れているのだがそれでも1mくらいまで浸水したということで、営業再開できたのがつい2ヶ月前くらい、ということだった。駅に着いたときの感想の甘さを次々につきつけられる思いだった。そして更に言うならば、この先訪れる場所それぞれに凄まじい光景が待っていることもまだこのときは知らなかった。

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