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震災(7)

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石巻の朝、日和山公園というところから被災した街を眺めていた。ここは石巻の中心にありながらも高台になっていて街が一望できる。また、津波からの避難場所としても機能したらしい。
この場所のことは知らなかったので、昨夜教えてもらわなかったら確実にスルーしていた。教えてくれたのは、他ならぬ地元被災者の人たちだった。

殆どが復旧していない店が並ぶ商店街のなかで、ぽつんと明かりのついていた喫茶店「COFFEE たいむ」のドアを開け、コーヒーをいただいた。この辺に食事ができるところはないですかね、とマダムと常連客の人に聞くと、最近ようやく復活した店があるけど、懐石でちょっとそこは高価いのよ、みたいな流れになった。何か作ろうか?とも言われて、ナポリタンなどもあったのでお願いしようかとも迷ったが、せっかくなのでできたらなにか地物が食べたいですと言うと、知り合いの飲み屋が適当に出せるだろうということで電話で連絡を取ってくれ、案内していただくことになった。
この喫茶店は最近営業にこぎつけることができたそうだが、マダムと常連さん、ともに津波にやられ店(この店とは別のところだったそう)、家、持ち物すべて失ったという。ボランティアで来たの?と聞かれたので、ぼくは正直にボランティアをする時間も体力もないので、ただ見て回って、金を使っているだけ、と答えた。でも二人はそれはそれで有り難いことだし、とにかく今はこの現実、津波の怖さを知って欲しい、だからここで見たこと聞いたことを身近な人に広めてほしい、と言ってくれた。野次馬根性のように捉えられることを覚悟していたのですが、と言うと、そんなことはないでしょう、そう思う人もいるかもしれないけど、私たちはそうは思わないと言ってくれて、少しラクになれた。
ぼくは群馬出身なので災害に関しては精々光化学スモッグがどうのというのが小学生の頃あったくらいだが、海の近い街では当然のように津波避難訓練をするらしい。しかし実際のところ、津波がどういうものかも知らなかったし、ここまでのものとは思ってもいなかったという。ぼくもアニメなんかで見る津波とYouTubeで見た映像は全然違うんだなあと思ったし、本物ははるかに怖いということも映像を見ながら思ったものだ。そして、今こうしてじっさいの爪痕を見て更に怖さを肌で実感している。

喫茶店はもう店じまいというので、その道すがらに先ほどの飲み屋まで案内してもらった。「千晶」という店で、ここも店構えはキレイに直したてといった様子で、開店祝いの花が飾ってあった。営業できるようになったのも本当に最近なのだろう。
店のカウンターには半分くらいのお客さんが座っていた。ぼくは事情を先に話して貰っていたので、酒は飲まず魚の定食のように食事を出していただいた。食べ終わって一息ついていると、そのお客さんが焼きホヤをお裾分けしてくれた。ホヤを食べたのは初めて(後でその食べ物になる前の姿をググってびっくりした)で、これは美味いという話(まさにホヤはこの辺の名物であるが、勉強不足でこのときは知らなかった)から、またお話をさせていただいた。そこにいるお客さんたちは地元の人と、その親戚の人たちの集まりだった。もちろん被災者で、家も全壊だそうだ。
被災者にも色々いて、立て直して頑張ろうとしている人もいれば、支援金や見舞金でもう死ぬまで逃げ切ろうと働きもせずパチンコに行ってる人もいる、また被災者を見る人も色々いて、明るく振る舞った書き込みをネットにしたら「被災者だと思ってたのにフザケてるから支援する気無くした」みたいに書かれたこともあった、と、地元のお姉さん(ぼくより年上)は言う。常に悲しんで辛そうにしてなきゃいけないのかよって話ですよ、と愚痴っていた。まったくそのとおりだ。こうして楽しい酒も飲む、家屋全壊ネタを自虐的に言ったり、家のすべてを持って行かれて、代わりにヘドロだけ返されたよあはは、なんて笑いに昇華して体験を教えてくれたりする。そういうのが人間らしいし、本当の現実だ。被災者は常に下向いて悲しそうにしてると思い込んでいるのは想像力が貧しすぎる(本当はそんなふうに思っちゃう人ほど実際に来てみればいいのだけど)。とはいえ、ここでぼくに言わないだけで本当に辛い思いをしているという現実も他方であるのも間違いない。亡くなった友人もいると言っていたがその辺はあまり聞けなかった。
いつもこうやって飲んでるわけじゃないんだよ、ほんとこういうのは久々、普段は部屋でじっとしてるし、早く寝ちゃうんだよ、と連れのおじさんが言った。そうなんだろうなと確かに思った。あとあまり書かないがお金の話なども結構リアルなところを教えてくれた。(ちなみにネットで言われてたとおり、政府の動きは遅くて、台湾の支援は素早く有り難かったそうです)
何にしても、こうして実際に来てみて、地元の人と少しの間だけでも時間を共有し話ができたことが本当にうれしかったし、自分の貴重な体験になった。そんな話をしている中で、日和山のことも教えてもらったのだった。

本当にありがとうございました。

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震災(6)

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石巻に着いたのはもう日が暮れた頃だった。ホテルにチェックインしつつ、素泊まりなのでどこか食事できる店がありそうなのはどのへんでしょう、と尋ねると、フロントの人は、駅前に少し居酒屋なんかがあるくらいで…と答えた。
地方のビジネスホテルによくある、モノクロコピー1枚ペラの手作り近隣食事処マップがこのホテルの部屋にもあった。見てみると、フロントの人の言ったほうとは逆に、どうやらお店がありそうな繁華街っぽく思えるところがある。なんでこっちを教えてくれなかったんだ、と思ったが、実際徒歩で行ってみてわかった。ほとんどの店は建物が津波でやられていて営業できる状態ではないままなのであった。18時前だったが、人の気配もほとんどなかった。一応そんな中でも街歩きしてみようとうろうろしてみたが、かろうじて営業しているのは風俗店らしきハデな店くらいで、あとは本当にどこもやっていない。諦めようかと思ったところで、明かりのついている小さな喫茶店を見つけた。両隣の建物も破壊されたままだが、営業中の札を信じてドアを開けた。

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震災(5)

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気仙沼の南町海岸のあたり。つねにこのような状態なのかはわからないが、ぼくの訪れたときは街のところどころが冠水した状態だった。当初はこの日、このあたりに宿をとろうと思っていたが、スケジュールを考え更に南下することにしていたのであまり長い時間をかけて見て回ることはできなかったものの、被害のありかたもまた様々だと感じる。港の公園のようなところが近くにあったが、見ると水位はその岸とほぼ同じ高さになっていた。
ちなみにこのあたりはストリートビューでも見ることができる。この記事の投稿日の時点では津波の前の状況なので、変貌前の様子を見てその怖さをあらたにした。

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震災(4)

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大槌町からは釜石、大船渡、陸前高田と南下する。それぞれに被害の跡は残り、特に陸前高田に至っては跡というより逆に「何も無い」状態であった。JRの駅の跡を探そうにも、もはやその場所すらわからなかった。
そうして気仙沼に至る途中に、鹿折地区というところがあり、ここもまた被害が甚大である。大船渡線の鹿折唐桑駅の前には、大型漁船が打ち上げられていた。モニュメントにするという話もあるそうで、実際地元の女子高生たちも自転車で来て写真を撮ったりしていた。なんかこの行脚を続けていてずっとひとりで神妙な顔ばかりしていたんだけど、その様子を見てなんかほっとさせられた。

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震災(3)

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宮古から車で太平洋沿岸をひたすら南下すし、山田町、吉里吉里を見て、お昼前くらいに大槌町に着いた。ここもまた、とにかく一切が無くなったという様子だ。きっとガレキや壊れた建物がもっとすごかったのだろうが、8ヶ月でまだこのような状態というのは東京で普通に生活している自分としては完全に想像力の及ばないところだった。家があったであろう土台の跡に、たまに花が手向けられているのを見つけては心がチクリとした。
レンタカーなので自分の好きな音楽ではなく、地域のラジオを聴きながら車を運転していたのだが、そのニュースでちょうど大槌に「復興食堂」というのが昨日オープンした、という話題をしていたので寄ることにした。テント張りの店で、注文をとるお姉さんも不慣れな感じであった。もしかしてボランティアじゃなくてここの人なのかな、と思ったがお姉さんには訊けなかった。海鮮の丼はわずか500円で、店が周りにそもそも無いようなこの場所でこんなお得な値段でいいのかと思うくらいだったし、お客さんもなんか楽しそうだった。ここに寄れて、わずかでもお金が使えてよかったと思った。

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